社会人の時のテューバ生活 その3

「釧路テューバドットコム」と、言うサークルを作りました。

ユーフォニアムも含めないテューバだけの集団です。

活動は不定期ですが、過去4回の自主コンサートを開催しました。

細く長く続けていきたいと考えています。

過去を振り返るのはこれでおしまいです。

ここから先は話題が出来た都度アップしていきます。

つづく

社会人になってからのテューバ生活 その2

吹奏楽での活動は別シリーズでお話ししますので、ここではテューバの話だけにします。

その1でお話ししたテューバキャンプに触発され、ソロ、アンサンブルがとにかく楽しくなりました。

吹きたい曲を見つけてはチャレンジし、吹けなくなると練習の仕方を元札響の香川先生などに教えていただきながら、少しずつレパートリーも増えていきました。

2000年11月、30歳の時に仲間を集めてソロのリサイタルを行いました。

私のテューバ20周年です。

当時は良かれと思ってプログラムしましたが、技量に見合わない曲ばかり演奏し、今振り返ると恥ずかしい限りです。

2010年40歳、30周年記念は・・・・・・

何もしませんでした。

つづく

 

社会人になってからのテューバ生活 その1

大学時代に1枚のCDと出会いました。

元エンパイアブラスクインテットのサミュエル・ピラフィアンがジャズのCDを出しました。

そのCDにはテューバとギターのデュオが入っていたんです。

そんな編成での演奏を聴いたことが無く、その素晴らしさに驚きました。

北海道テューバ・ユーフォニアム協会のテューバキャンプに、ピラフィアンが講師として来て下さったので、初めて参加しました。

これなら一人でも続けられるし、その時々の仲間と楽しく出来ると感じ、社会人2年目で楽器を買いました。

買った楽器もこのCDのジャケットで写っているマイネルウェストンの2145。

ミーハーです。

つづく

大学生の時のテューバ生活 

大学生の時にはテューバを吹いていませんでした。

高校生までで燃え尽きた感があり吹き手ではなく、聴き手になりました。

アルバイトで貯めたお金と、自由な時間を利用して、生の演奏を遠くは西宮まで聴きに行きました。

故鈴木竹男先生(阪急百貨店吹奏楽団指揮者、阪急少年音楽隊隊長)には大変お世話になりました。

高校生の時のテューバ生活

釧路湖陵高校へ進学。器楽部に入部。

この頃はもう別な楽器に変わりたいと思っていなかったので、まっすぐにテューバ志望。

他に2人希望者がいましたがそれぞれバスクラリネットとパーカッションになりました。

 

2年生時には初めてソロコンクールにも出場。

その時の楽しさが忘れられず今もソロ演奏を続けています。

 

吹奏楽の話題となると、もっとあるのですが、テューバと限定すると、案外ないものです。今更ながら発見です。

中学生の時のテューバ生活(パート決め編)

釧路市立東中学校に入学。

ちょうど現在の幣舞中学校の校舎の工事が始まった時です。

吹奏楽部に入学。当時の顧問は大場和典先生。

程なくパート決めの日がやって来ました。

1年生は全員教室に集められ、1年間の活動内容を聞いた後希望パートを聞かれました。

トロンボーンかサックスを吹きたくて、サックスに手を上げたところでいったん休憩。

先生が寄ってきました。

先生 「今年は2,3年生で47人いるんだよ。」

私  「?」

先生 「コンクールは50人しか出られないから、1年生は3人しか出せないんだ。」

私  「?」

先生 「サックスで手を上げていたでしょ。サックスはオーバーしていて、1年生は出られないんだよね。」

私  「!」

先生 「どう?テューバ吹いてみないかい。何か吹ける楽器あるの?」

私  「2年間テューバ吹いていました。」

先生 「じゃあいいじゃない。テューバは3年生一人だから必ず出られるから。」

私  「ハイ!!テューバ吹きます。」

 

これでテューバの道が確定しました。

 

小学生の時のテューバ生活

私がテューバを吹き始めたのは小学4年生も終わる頃でした。

日進小学校の金管バンドに4年の3学期から入部し、全員コルネット(トランペットと同じ音域の楽器)を練習していました。

1か月後にパート分けがあり、当時ヤマハの講師だった元北翔大学教授菅原克弘先生に、テューバを吹いてみないかと勧められ始める事になりました。

当時は最も大きい金管楽器だという事が一番の魅力でした。

6年生の時には釧路ジュニアブラスバンドに参加。

これが私の初吹奏楽です。

当時北海道教育大学釧路分校の講師だった竹内俊一先生(現兵庫教育大教授)に吹奏楽を教わりました。

今思うと北海道ではかなり恵まれた環境で吹奏楽を経験出来ました。

月見和史自己紹介11(大学時代)

東京農業大学生物生産学科に入学して、
一次産業全般を学びました。

今ではどの教科書でも取り上げている環境問題という言葉は私が高校生の時に使われ始めました。
時はバブル、超インフレ好景気時代だったため、
誰もそのような事に見向きもしませんでした。

そのような世の中で、少しでも環境改善に役に立ちたいと思い水処理の勉強がしたいと思っていました。
しかし物理がものにならず一旦は諦めました。

進学先が農業系だったので雑草を勉強して環境改善の役に立ちたいと始めは植物資源の研究室に通っていましたが、
水産系の研究室で、水槽の水の循環ろ過の研究が出来ると知り、
3年次から水産系の研究室で勉強しました。

この時勉強したことは、後に商社勤務時代に役に立ち、
循環ろ過水槽の設計、施工、据え付けの仕事をすることが出来ました。

専門で勉強した事を仕事で生かせる機会などそうそうありません。

とても幸せな事でした。

大学時代はテューバを吹いていません。
一度聴衆に戻ってみようと思い、
アルバイトで貯めたお金は全部演奏会を聴く費用にし、
全国を飛び回っていました。

この時に海外まで視野に入れていればもっと面白い経験が出来たかもしれませんでした。

この回で学生生活までの内容が終了です。
社会人になってから釧路で塾を開くまでのエピソードについては別シリーズでお話しします。

月見和史自己紹介10(高校卒業~浪人)

前述したとおり、
高校3年間は全く勉強をしなかったので、
卒業するころには成績が回れ右をして3位まで上り詰めていた事に気が付いていませんでした。

こんな高校生が合格する大学はありません。

父からは最後まで諦めるなと、専門学校の受験も勧められ受験しました。
そのうちの一つに合格しましたが、
「今のお前で合格できる程度の学校なんて、
そんなところに行っても意味がない。」
と、言われ、勧めていながら行くなとは意味が解らなかったので家出しました。
4月の冷たい雨の中、傘も差さずに飛び出し、
興津の海岸で雨に打たれながらこれからの事を考えました。
父の言っていることが少し判りだしたので、
夜に釧路駅に移動し最後は夜中に家に帰りました。

翌朝母に泣かれました。
話を聞くと夜に駅に探しに行ったそうで、
その途中の拓銀ビル(現北陽ビル)前で止まっている救急車を見つけ、
私だと思い確認しにまで行ったそうです。

確かにその救急車を私も見ました。
私はその反対車線の歩道を歩いて駅に向かっていました。

心配をかけて悪いことをしたと心の底から思いました。
一生反省し続けます。

父とも話をしました。
「どこにも行くところがないから浪人するというのは、
進路選択したとは言えない。」と、言われ、また悩み考えました。

家を出てアルバイトをしながら何年かかけて大学に進学しようと決めた時、
釧路を離れ札幌の予備校で浪人することを許してもらえました。

札幌では勤勉でしたが、夏から秋にかけて予備校をサボる事も覚えてしまいました。

そうこうしていると春には大学生になりました。

 

この時の一連の経験が、ただの塾講師ではなく

「未来プランナー」という肩書で名乗るきっかけになりました。

※浪人時代のエピソードは濃いので別なトピックでまたお話しします。

月見和史自己紹介9(高校時代)

釧路湖陵高校に入学しました。

釧路の進学校です。

勉強は初日で挫折しました。

最初に挫折したのは得意教科の数学でした。
3次式の因数分解が出来ません\(゜ロ\)(/ロ゜)/
「明日までに出来るようになればいいや。」などと思っていると、
クラスでは出来る生徒に休み時間中に教えてもらっているのです。

この勉強への姿勢の差がそのまま学力の差になりました。

4月の学力テストはそれはもう散々な結果でした。

各中学校から優秀な生徒が集まってきて、
その中で学年順位が付くのですから、
日頃から勉強する習慣がついていなければ、
授業には付いていけません。
私も劣等生を味わっています。

そういう意味では私の塾「月見学道」に通っている生徒達と、
何も変わりはないのです。

最も不得意な英語はクラスの担任だったこともあり厳しく、
家での勉強も少し出来ていたので、
1年次は最も評定が高くなりました。

家で勉強する事は学生にとって何よりも大切です。

このような様子でしたが器楽部(吹奏楽部)に入部しました。

この頃の湖陵高校は学生が指揮を振っていました。
小中学校でお世話になった先生達が素晴らしかったので、
高校で学んだものはありません。
詳しくは吹奏楽のシリーズでお話しします。

高2、高3と勉強についてお話しするべき内容がありません。
この後の私の高校生活は吹奏楽オンリーで、
それ以外のエピソードが全くありません。
勉強も全くしませんでした。

卒業から浪人するまでのエピソードを次号でお話しします。